2009年3月21日土曜日

グルジア 地下鉄の怪力王

グルジア 地下鉄の怪力王

2000年当時のグルジアの首都トビリシは、旅行者が戦争・テロに巻き込まれる危険はほぼなかったが、それでも内戦で国が疲弊していることがよく分かった。

中央駅からも見える大きなホテル(イベリアホテル)は、難民アパートと化し観光客は泊まれない状態だった。難民とは黒海沿岸のアブハジア・アジャリア両地区から逃げてきたグルジア系の国内難民だ。黒い魔女のような服を着た老婆が掌を上に向け誰彼とわず物乞いしていたシーンが今でも頭から離れない。

私が泊った駅ビル6Fの安ホテルは、廃墟のように荒れ果てて、24時間完全停電していた。従業員は接客レベルは共産主義時代のまま。食事するにも外に出なければならない。良かったのは、駅ビルからすぐに地下鉄に乗れたことくらいだった。

外コーカサス(モスクワから見てコーカサス山脈の外側)に地下鉄があるなんて想像していなかったが、史上最強の独裁者スターリンがグルジアの出身だから、故郷に対して経済的な便宜を図ったのだろうか。

それとも、この地方がNATO加盟国のトルコや、革命前は親米だったイランとほど近いことからすると、冷戦時は防衛戦略上の必要があったのかもしれない。つまり、旧ソ連圏の地下鉄駅は核シェルターを兼ねていて、戦争時に住民を収容することができるのだ。

ジェトンを買って、イコン絵やロザリオなど宗教グッズばかりのキヨスクを横目に見ながら、改札をくぐる。

地下のホームへ続く長いエスカレーターは、日本だったら怪我人が続出しそうなくらい高速スピードだ。

広告だらけの日本の駅や電車に慣れている私の目には、殺風景なトビリシの地下鉄駅はむしろ重厚でとても新鮮に映った。そんな駅や電車をぜひとも写真に収めたかったけれどあきらめた。グルジアは各地で内戦・紛争を抱えており、地下鉄駅構内で写真撮影すると不審者として拘束されることが予想されたからだ。

私は、まるで美術館に来ているかのように駅ホームを鑑賞しながら列車を待った。

列車は程なくやってきた。ヨーロッパ・CISの電車はブザー音もなく閉まることも多い。閉まってしまう前にさっさと乗り込みたいのだが、目の前の大きな親父がもたもたしていていて乗り込めない。

「早く乗ってくれー」と心の中で念じていると、扉は突然閉まり、目の前の親父はドアに挟まれてしまった。足や服の一部が挟まれた程度ではなく、体全体がもろに扉に押しつぶされて身動きが取れないようだ。

これが日本であれば、直ちに扉は再開され、駅員が飛んでくるかもしれない。けれど、親父は挟まれたまま、扉も開かず、駅員もやってこないし、車両内の客が助け出そうともしない。

「俺が助けなきゃ」と扉に手を伸ばした瞬間、親父は肘を曲げたまま二の腕を開き、ぐぐぐっと扉をあけ広げた。

「すっ、すげー」。
日本人だったら、まずは扉のゴムの部分を肩と掌で抑え、それから全体重を掌に乗せるようにしても数センチ押しあけるのがやっとではないか。この親父は、扉に当たっていた右上腕をすっとスライドさせただけで、扉を大きく開き、そのまま制止させていた。超朝飯前という感じである。

親父はさらに驚く行動に出た。
二の腕で扉を抑えながら、右脇の下から顔を覗かせ、私に「乗れ」というように顎をしゃくったのだ。

これだけの怪力男であれば、強引に体を捻って車両に入ることは容易なはずだ。そうせずに扉に挟まったのは、挟まれてしまったのではなく、後ろに続く私を車両にせるために閉まりかけた扉を体を張って押さえてくれたということである。

グルジア人の思いやりと豪快さにいたく感動しながら、私は親父の脇の下をくぐり車両に乗り込んだ。親父は二の腕を外し、扉は「ドーン」という大きな音ともに閉まった。

私に向けられる車内の乗客の目が恥ずかしかったが、まずは親父にお礼を言わなければならない。改めて親父を見ると、スターリン髭を生やした身長2m近い大男で、胸板と腕回りはすごい迫力である。

私は手を差し伸べて「スパシーバ(ありがとう)」と言った。握手した手のでかいこと。

あまり知られていないが、コーカサス地方は力技大国で、重量挙げ・柔道・レスリングなどで優秀選手を量産してきた。角界でも黒海はグルジア(アブハジア)出身、露鵬はロシア領北オセチア出身だ。

年齢から考えて現役ではないだろうが、その体格からして元スポーツ選手だろう。私は両腕を天井に突き上げるジェスチャーで親父に尋ねた。
「腕すごいね。あんたは重量挙げの選手か?」

親父は首を横に振って、私から視線を外し窓の方を向いた。ニコリともしなければ、何も話しかけてこない。思いやりある行動の後でなんだか素っ気ないと思ったが、旧ソ連の(元)スポーツ選手がニコニコ愛想を振りまくなんてできないのは何となく理解できた。

結局親父は一言も発しないまま次の駅で降りて行った。照れくさいのだろうか。勝利インタビューでもほとんど話さず表情も変えない日本の関取を連想してほほえましく思った。

異変に気づいたのは、私がその次の駅で電車を降りたときである。

背負っていたナップザックのポケットが開いていたのだ。手を入れて確認したら、中に入っていた財布がなくなっていた。

「やられた。」怪力王はスリ集団の一人だったのだ。

思い起こせば、親父(怪力王)が扉に挟まれたとき、私の後ろにもう一人「乗客」(実行役)がいた。怪力王と実行役はグルということだ。手順は以下のとおり。

1)きょろきょろと駅構内を見渡す隙だらけの私をターゲットに指定。
2)怪力王は壁となって私の動きを止めるためにあえて扉に挟まれる。
3)呆然と立ち尽くしていた私の背中から実行役が財布をスる。
4)スリが発覚しても追走を困難にするために扉を開けて私を乗車させる。

それにしても、私が乗り込む時に大勢の乗客や車掌が見ていたはずなのに、なぜ誰も助けてくれなかったのだろう。グルジア人よ、ちょっと冷たいのではないか。

確かに、乗客からは大きな親父が壁となって私が見えなかったのかもしれない。けれど、車内の客が誰一人扉の再開を手伝わなかったことも考え合わせると、乗客はむしろ、怪力王らが仕事中だと気が付いていたのではないだろうか。気づいていたとしても怪力王の前で私を助けるなんて怖くてできなかっただろう。

万が一客が気が付いていなかったとしても、車掌は現場を見ていたはずだ。車掌が扉を開けず、結果としてスリ行為を助けたのはなぜだろうか。

1)車掌もグルだった。
2)難民の生活困窮に同情してスリを見逃してやった。
3)あの観光客バカだな、と楽しんでみていた。
4)面倒くさかったので見なかったことにした。

1)2)はさすがに考えにくいだろう。3)はありうるけれど、4)「面倒くさいから見なかったことにしよう。」が実際のところではないだろうか。事件だと騒いで列車の運行を遅らせてしまうほど重大事件ではないし、騒ぎにして怪力王に逆恨みされるのも怖いだろう。スリなんて、きっとトビリシの地下鉄では日常的な軽犯罪にすぎないのだ。

スられた財布はダミーで、小銭しか入れていなかったので実害はなかったのだが、助けてくれたと勘違いして怪力王に握手まで求めた自分が恥ずかしかった。右掌に残る握力の余韻を感じながら、難民があふれるトビリシの治安状況を改めて認識した。

* 2006年にグルジアを再訪したとき、アジャリアの内戦はグルジア側の勝利で解消していました。アジャリア自治区の首都バツミは平和そのもの。トビリシの治安も幾分良くなっているように思いました。2008年にはアブハジア・南オセチアの内戦が激化したので、今のトビリシは様子が違うかもしれません。なお、2000年訪問時は、南オセチアの状況は比較的落ち着いていて、トビリシにオセチアから難民が流入しているという話は聞きませんでした。

* 関連
・用心棒シルバンの話(2000年訪問時)
Sに会ったのは感じのよいグルジア料理レストランだった。つめればぎりぎり4人座れるテーブル席が3つだけの小さなレストラン。・・・・柔道選手として日本にも2度来たことがあるというS。
・・・そんなSと、翌日思いがけないところで「再会」を果たすことになる。全く違う表情のSと。・・・・・・国を代表した柔道選手といっても引退後仕事はないのだ。仕事がないとどうなるか。その体格と腕力を生かせるのは裏社会ということになる・・・・略
・アジャリア(2006年)
2006年にアジャリア自治区の主要都市バツミを訪問したときは、黒海沿岸の庶民的リゾート地としてにぎわっていた。トルコ系イスラム教徒が独立を掛けて闘争していたアジャリア内戦は、グルジアの勝利に終わっていた。街中にはグルジア国旗のモチーフである赤い十字架が取り入れられた新しい自治区旗がはためいていた。モスクも見つからなかった(実際には大きなモスクが町中にあるようです)。2006年時はすでに実質ロシア領となりグルジアの支配が全く及ばなくなっていたアブハジアとは対照的に、グルジアの完全コントロール下に入り落ち着きを取り戻しているようで、兵士もあまり見なかった。2009年現在トルコの首相を務めているエルドアンTayyip Erdoğanの家系も旧オスマントルコ領のアジャリア由来らしい。(後略)
・カジノへようこそ
・「お前はタジク人か」
グルジア中部の古都クタイシの街角。民家の階段に腰掛けていた老人は通り過ぎる私をとめてロシア語で尋ねた。「お前さん、タジク人かい?」。タジキスタンは旧ソ連の中央アジアのペルシャ系共和国。タジク人はイラン人同様恐ろしく顔の濃い人々。日本人の中でも薄い顔の私がタジク人に間違われるとは・・・苦笑するしかなかった。ソ連が崩壊して20年近くたっても、老人の頭の中は、旧ソ連圏世界で完結している。日本なんて彼の地図には載っていないのだ。アフリカのウガンダで露店の裁縫師に「お前さん、アマゾンから来たのか?」と真顔で聞かれたことを懐かしく思い出した。
・初めて出会ったオセチア人

2 件のコメント:

  1. 奥深いエピソードですね。プロレスの世界でもグルジアという国名は有名です。さすがにいろいろな体験をされてますね!

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  2. コメントありがとうございます。コーカサスの男は一般人でもレスラー体型なんですよね。ももの筋肉が邪魔するのか、がに股が多いし。旧ソ連圏のレスラーの話などまた聞かせてください。恐ろしく毛深い人たちなので、テレビ写りが悪いんじゃないかなー(笑)

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