2009年3月24日火曜日

ウクライナ 搭乗拒否その2(外人隔離編)

ウクライナ 搭乗拒否その2(外人隔離編)
モスクワ経由でベラルーシ入りができなくなった私。時間のロスが最も少ない代替案はシンフェロポリ→キエフ→プラハ(チェコ)→ミンスク(ベラルーシ)。
キエフまでの国内線チケットを入手し、チェックインを無事済ませ、搭乗券をもらう。数時間遅れたが、同日中にシンフェロポリを出発できる。やれやれである。

チェックインは、コンピュータベースではなかった。けれど、チェックインカウンターの係員は、搭乗券を発行するときには、デスクの機内席表と搭乗券に、一人一人の座席シール(1Cとか4Bとか)をそのつど張っていくシステムを取っていた。これなら、搭乗券の重複発行のミスは防げるし、誰がどこに座るのかも確定できる・・・はずである。

軽い荷物検査手続きを済ませ、待合室で待機する。ロシア語で搭乗案内が流れる。英語はなし。ウクライナ語はあったかもしれないが私には分からなかった。乗客は待合室から飛行機へ徒歩で移動。乗客は次々と機内にステップ(梯子)をのぼり機内に入っていく。

ふと気づくと、3人組の男達が、制服を着た職員(共産主義色のつよい軍人のような制服、あせた紺色)につれられてステップの脇に移動させられている。

何があったのだろう。何かの手違いか。それとも彼ら指名手配されている犯罪者だろうか。

搭乗は続けられる。私の番だ。ところが、軍人のような制服の職員は、ステップに片足をかけ、私を機内に入れまいとする。そして、別の職員が来て、私も3人の男達と同様、ステップの脇に連れて行かれる。「なぜ?」と聞いても返事はない。英語は通じないし不可解だが、これは何かいわれなき嫌疑が自分にかけられているのではないかと恐ろしくなる。「外国人が爆発物を所持しているという匿名の情報が寄せられた」、なんてことがあったら最悪だ。

私とともに待機を命じられた3人は、やはり外国人のようで、ステップ脇の職員に対して英語で猛烈な抗議を始めている。「どういうことなのか説明しろ。なぜ待たされるのだ。ウクライナ人はどんどん乗っているじゃないか。」 職員達はだれも英語が分からないのか、一切無視。体を張ってわれわれが飛行機に乗り込むのを阻止している。状況は読めないままだが、隔離されたのが私一人だけでなく他の外国人と一緒であることに、ひとまずの安堵を覚える。

黙って事態を見守っていると、もう一人の西洋人と思われる男が同様に搭乗を拒否される。しかし、この体格の良い男、職員の制止する腕を無理やり振り切り、ステップにかけた職員の足をまたいで、機内に駆け込んでしまった。なんと大胆な。旧共産圏の怖さを知らないのだろうか。私は、沿ドニエストル共和国(ロシアの傀儡国)とウクライナの陸路国境を越えるにあたり、旧共産圏の理不尽を嫌というほど認識させられたばかり。とても抵抗しようとは思わない。

私は、職員が男を機内から無理やり引きずりおろすのではないか、とはらはらしながら見ていたが、そのような事態にはならず、職員は何事もなかったように搭乗手続きを続けた。

やがて、私を含めた外国人4人だけを残し、全員の搭乗が完了した。職員は、ステップを機体から取り外し、機内にしまいこもうとする。

すると烈火のごとく怒ったのが、脇に待機させられている私達4人の中の白人2人である。ステップを両手でつかみ、駄々っ子のように体重をかけぶら下がって、ステップ仕舞い込みを阻止しようとする。「なぜ、俺達を乗せないのだ。搭乗券は持っているし、座席も割り振られているじゃないか。外国人差別だぞ」と大声で叫ぶ。

お怒りはごもっともだが、40歳過ぎの紳士とは思えぬ大胆な行動に、私は唖然とするばかりだ。アジア人の私は、「ウクライナはそういう国なんだよ。西欧のようにはうまくいかないよ」とあきらめ顔。もう一人のインド人顔の男もそう思うのか、行動には加わらず、立ち尽くしている。融通が利かない国インドから来た人からすれば、受け入れられない程度の理不尽ではないだろう。

すぐに警察官らしき男達が5,6人駆けつけてきた。私は、逮捕劇や発砲の巻き添えをくわわぬよう、ひとり厳重警戒態勢に入る。白人達はピストルを腰にさした警察官に囲まれながらも抵抗をあきらめない。警察官らはついに実力行使にでて、白人2人をステップから引き剥がした。

私達外国人4人は、手錠などははめられなかったものの、警察官に囲まれながら、待合室まで連行される。待合室にたどり着くと、職員のうちの一人が私達4人に対して「次の便でとべるかもしれないので・・・」と片言英語で説明する。

飛べる「かも」では怒りが収まらないのが白人2人である。「飛べなかった理由をきちんと説明しろ」「お前らの名前を教えろ」「英語も分からないのか。英語分かる奴を呼んで来い」「外交ルートを通じて正式に抗議する」極めつけは、「ウクライナなど、100年たってもEUに加盟できない。」とすごい剣幕である。

事情は良く分からないが、政治家や、空港のお偉いさんが、急遽キエフに飛ぶ必要があり、4-5席分足りなくなってしまったのだろう。そして、私達を選んで飛ばせなかったのは、その片言英語の職員個人の判断ではおそらくない。権威ある上の者から指示を受けてそうせざるを得なかったのだろう。ソビエト連邦のもと70年間共産主義にどっぷり浸かってきたウクライナには、我々「西側」の人間の理解できないような制度・体質・考え方がまかり通っているのだ。

怒りの収まらない白人たちの声を聞きながら、私は、複雑な気持ちになった。
1 私達に嫌疑がかけられているわけではなかったことに対する安堵
2 流血事件に発展しなかったことに対する感謝
3 搭乗拒否に対する怒り
4 飛べなかった理由や救済手続きの英語説明がないことへの落胆
5 罵声を浴びせ続けられる航空会社の末端職員に対する憐憫 

それにしても、席が不足して全員を乗せられないとして、なぜ外国人が選別されて残されたのだろうか。なぜ、航空会社の決定権者がこのような措置を取ったのだろうか。

1)外国人差別: 共産主義下で醸成された外人不信・外人嫌悪(ゼノフォビア)、自国民を優先するという国民気質・愛国心、
2)選別の容易性: 多分ウクライナ人の中から一部を選別することは困難だが、外国人なら容易に特定できる
3)クレーム対応: ウクライナ人を搭乗させないと役所や航空会社に抗議が来て面倒くさいが、一時滞在と思われる外国人を排除してもクレームを受けにくい

外国人だけ選んで排除されたという外形的事実に着目すれば、1)外人差別と考えるのが素直だ。だが、一歩踏み込んで見ると、ウクライナの国民性としてゼノフォビアが強いとは聞かないし、私自身本件を除いて外国人だから特別な扱いを受けたことはない。常識的に考えて、2)や3)ではないか。

もし、3)クレーム対応が本件の背景にあるのだとしたら、ウクライナの意識改革・民主化が進んでいる証ではないかと思う。非民主国家・独裁国家では、庶民のクレームなど怖くないからだ。

非民主国家は、こういうときに自国民よりも、外国人をむしろ優遇するのだ。キューバやイランがいい例だ。イランは、運賃が激安なので、飛行機満席は日常茶飯事だが、外国人をウェイティングリストの上位にしてくれることが多く、満席にもかかわらず飛べることが多い。シラーズ→バンダルアッバス(1996)、タブリーズ→マシャド(2005)、いずれもそうだった。キューバも、空席がないといいつつ、特別手数料を支払うことで、党幹部用にキープしてある席を譲ってもらうことができる。ハバナ→サンチャゴ(2006)など、満席と言われていたのに、実際に満席なのは機内後半部のみで、機内前半部は私と党幹部風男2人しか座っていなかった。外国人にとってはうれしい優遇制度だが、それが国民・庶民の犠牲に成り立っているかと思うと、やはり非民主的だという印象を抱かずにはいられなかった。

ところで、今回の飛行機に乗ろうとしていた外国人は以下の通りであることが判明した。対応から国民性が読めるようで興味深く思った。
アメリカ人1、スウェーデン人2、インド人1、日本人1。

アメリカ人 制止を振り切り腕力で無理やり搭乗。さすが世界最強国の国民。GWブッシュ譲り。
スウェーデン人 不合理な処分には断固抗議。口頭のみならず行動を伴う。バイキング譲りの勇敢さ。
インド人(国籍はスウェーデン) 口頭での抗議はするが非暴力に徹する。ガンジー譲り。
日本人 お上には抗議しない。事なかれ主義。傍観するだけ。

シンフェロポリを出発できたのは日付変わって午前一時。他社便に何とか乗せてもらう。キエフではホテルが満室ばかり。2時間さまよってやむなくチェックインした高級ホテルは一泊2万円。スウェーデン人3人とは偶然一緒のホテルで、翌朝のビュッフェで顔をあわせた。

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