2009年3月22日日曜日

ミャンマー パガンの手相師

重信メイさんの手相の話に関連して思い出したことを書いてみます。2005年、ミャンマーを旅した時のことです。

あなたは、占いを信じますか?

私は基本的に信用しません。それは、自分が、高校の文化祭でタロットの占い師をやった実体験に基づく勘です。

タロットのカードには一枚一枚意味があります。しかしその意味は多義的で、解釈の幅があり、それをどのように伝えるかは占い師の裁量にゆだねられています。

例えば、「死神」のカードがでると占われる側はびっくりするでしょうが、倒位置であれば、再生というポジティブな意味にもなるし、正位置の「崩壊」という意味であっても話の流れのなかで積極的な意味を持たせることはできるのです。

占いというセッションを繰り返す毎日の中で、私は、大事なことは、インスピレーションではなく、客と良いコミュニケーションを取り、彼女(占いしてほしいと言ってくるのはたいてい女の子です)がどんな状況に置かれているのか、どんな性格なのか、悩みの根幹はどこにあるのかを的確に把握することだと思いました。

それができないと、どんなに手際よくカードを裁いても、カードの意味をよく覚えていても、「当たっていない」と言われてしまうのです。逆にそこさえできれば、インスピレーションなどなくても「当たっているかもしれない」ことを言えるようになるわけです。

文化祭が終わるころには、出てくるカードの持つ意味の中から状況に応じたものを選び、話をつづけ、「当たっているかもしれない」「確かにそうかもしれない」と喜んでもらえることが多くなりました。

この、占い師側になってみたという経験から私は、占いとはコンサルティングの要素をもつ奥深い儀式だと思うと同時に、答えが一義的に出ない占いに「未来を予知する」という力はないと思うようになりました。

ただし、例外があります。
1)近い将来の話
2)断定的な話
3)普遍的でない話
これらに対する回答をする占い師は勝負に出てきており、実際に当ててきたら本物であるということです。
なぜなら、1)2)3)の話は、当たりはずれがすぐに判明してしまうという意味で占い師にとっては危ない橋を渡ることを意味するからです。たとえ占いの道具によると、「1)7日以内に、2)必ず、3)足を骨折するでしょう」と出てきたとしても、「下半身が弱い傾向があるようなので、スキーとかテニスとかするとき、怪我をしないよう気をつけるようにしてくださいね」程度にしておくのが穏当です。にもかかわらず、3日以内の骨折を予言し、当ててきたら凄い占い師だということです。

前置きが長くなりましたが、ミャンマーのパガンに話は飛びます。

パガンは、アンコールワット(カンボジア)・ボロブドゥール(インドネシア)と並び世界3大仏教遺跡と日本では言われています。私が調べた限りこの「3大・・・」は日本人が勝手に言っているだけですが、バガンが素晴らしいことには変わりありません。

(続く)

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