2009年3月20日金曜日

イラク DVD「戦場の夏休み」

「戦場の夏休み-小学二年生が見たイラク魂」を見た。
ジャーナリスト吉岡逸夫氏のイラクへの家族旅行を記録したDVD。企画としては面白いし、タイトルに偽りなしだが、2003当時のイラクにおける人々の生活や考え方を知るという意味においては物足りなさを覚えた。

(アマゾンの商品紹介から引用)
3年(km注:2003年の意味)にイラクへ家族旅行をしたファミリーは、おそらくこの吉岡一家くらいのものではないだろうか。イラク戦争後、街には米軍の戦車が行き交い、建物は破壊の跡を残し、略奪と盗難が頻発する無法地帯と化した。そんな場所へ、小学2年生の風美ちゃんを連れていくのだから、「無謀」というほかはない。
ところが、戦後のイラクで見たものは、一家にとって意外なものだった。フセインを慕っていたはずの国民は、一変して彼を独裁者と呼び、思い思いに発言をする。米英軍や、日本の自衛隊派遣にも意見は様々だ。危険なイメージばかりが付きまとうイラク人も、吉岡一家の目を通じて見れば、危機を生き延びた、陽気で温かな人間たち。風美ちゃんの素直な反応が、それを教えてくれる。吉岡一家が無事に帰国したのは、ただ運がよかっただけなのかもしれない。けれど、こんな旅だからこそ、「素」のイラクが映し出されたのも確かだろう。
《監督》 吉岡逸夫
(引用終)


* ジャーナリズムに望むこと
家族旅行の記録、と割り切って見るなら良いかもしれない。しかし、人々がお金を出してこの作品を買ったりレンタルするのは、この作品がプロのジャーナリストである吉岡逸夫氏の企画制作によるものだからではないだろうか。私がプロのジャーナリストに伝えてほしいことは、公正な取材に基づく正確な事実であるが、この作品はその点でどうだったのだろうか。
1)情報の正確性に疑問あり
まず、吉岡氏と通訳、吉岡氏と現地の人とのコミュニケーションが正確に取れているのか、また、それが作品に正確に反映されているのかに関して疑問を抱いた。例えば、バスラの通訳の従兄が親サダムフセイン政府に殺害されたと語るシーンが出てくる。通訳は英語で「従兄弟が殺されて、その従兄の6人の子供が残された(生き残っている)」と言っているのに、DVDの字幕では「6人の子供が殺された」とされていた。真実を伝えるのがジャーナリストの使命だとしたら酷い誤訳と言わなければならない。 また、ドライバーとのやり取りは通訳なしで片言英語でやり取りしている部分も多く出てきたが、どうもドライバーの意図と吉岡氏の理解が噛み合っていない。例えば、ヨルダンからイラクまで移動中のドライバーが「車を何台か連ねて行けば問題ないさ」と胸を張っているように見えるシーンでも、ナレーションは「ドライバーはひどく怯えていた」である。吉岡氏が本当に「ドライバーがひどく怯えているほど治安が悪化している」と感じたならそんなイラクに家族を連れていくことは無謀というほかない。
2)公正な取材なのかに疑問あり。
2002年に現地で撮影された「笑うイラク魂」では一人を除いて皆サダムフセイン万歳派だったが、2003年の夏本作品の撮影時には皆手のひらを返したように、「サダムフセインは最悪だった。前回取材時には(取材に立ち会っていた情報省役人が怖くて)真実を話せなかった」と口をそろえる。けれど、よく見ていると取材対象者は、ほとんどバグダッドのシーア派住民か、シーア派が圧倒的に多いバスラの住民である。イラクは、シーア派・スンニ派・キリスト教、アラブ人・クルド人・トルクメン人・アッシリア人等からなる多民族多文化国家である。一枚岩であるわけがない。スンニ派や北中部の住民に聞いたなら、サダムフセイン感情は2003年時でも良かっただろうし、その他の民族・宗派でも「英米に支配されてしまうよりは良かった」と冷静に考えていた人もいるのではないだろうか。取材の結果一枚岩のように見えたとしたらそれは取材対象者の選び方に問題があったのではないだろうか。また、2002年と2003年時で取材対象者が意見を変えたように見えたのは「翻意」ではなく、サダム側の役人同伴という2002年の取材手法に限界があったからである。そのような状況で取材対象者が真実を語れるはずもなかったのだから。その意味で、本作品が公正な取材に基づいていたのか疑問が残るのである。

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