2009年3月17日火曜日

シリア 映画 「シリアの花嫁」The Syrian Bride

東京の岩波ホールで「シリアの花嫁」を見てきました。2004年モントリオール映画祭グランプリ作品です。日本ではDVD化されそうもないので、鑑賞をあきらめていましたが、新聞記事を見て上映中と知りました。あらすじを書く代わりに記事を引用します。

(引用)
映画:「シリアの花嫁」 苦しみ終わらせねば イスラエル人監督、紛争下の暮らし描く

 イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区侵攻が「終結」してから約2カ月。パレスチナ側に多大な被害を出したが、イスラエル側にも「暴力の停止と共存」を呼びかける人々はいる。その一人、映画監督のエラン・リクリス氏(54)は「皆が目を覚まし、双方の苦しみを終わらせなければ」と訴える。【和田浩明】
 リクリス監督は「シリアの花嫁」(04年、東京・岩波ホールなどで上映中)で、イスラエル占領下のシリア・ゴラン高原から、二度と家族の元に戻れないことを知りながら、イスラエルと国交のないシリア側に嫁ぐイスラム教ドゥルーズ派の女性を主人公に据えた。
 「レモンの木」(08年)では、イスラエルと自治区ヨルダン川西岸の境界近くに所有するレモン果樹園が、治安上の理由でイスラエル当局に破壊されそうになったパレスチナ人女性の抵抗を描いた。いずれも押し付けられた「境界線」に翻弄(ほんろう)されながら、自らの人生を選び取ろうともがく人々の姿が活写されている。
 自己正当化や相互非難が支配しがちな中東紛争の言説空間。リクリス氏は「多くの人が共感できる普通の人々を描き、判断を押しつけない作品作りに努めている」と語る。
 外交官の父に伴われ海外で育った。ブラジルで通ったアメリカンスクールで、女性教師から「耳を傾けること」の重要性を学び、ベトナム戦争に苦しむ超大国の姿に戦いの不毛さを感じ取った。第4次中東戦争では兵役に就き、高校時代の級友の多くを失った。
 母国をめぐる戦いはいまだやまない。「このままの状態では生き続けることはできない」。リクリス氏は暴力を超えた対話の可能性に希望をつなぐ。中東和平の将来は不透明だが、「もっと酷い状況を克服した国々もある。子供たちのために、関係を改善しなければ」と呼びかける。
 「シリアの花嫁」上映情報はhttp://www.bitters.co.jp/hanayome/
(引用終わり)
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090316dde007030060000c.html

国境には大なり小なりドラマがありますが、イスラエル占領下ゴラン高原という悲劇の「国境」から生まれたドラマは心に沁みます。「In This World」とともに、国境マニア必見の映画でしょう。また、この映画を通じてアラブ系マイノリティであるドルーズ派コミュニティの生活慣習や考え方を知ることができてとても有意義でした。

* 印象に残ったシーン
(ネタバレ要注意。特に後半からラストにかけては予想外なので・・・)
1)主人公の花嫁モナと家族
綺麗な洋風ウェディングドレスを着た花嫁モナ。それでもモナの表情には哀愁が漂う。式を終えてシリア側に嫁いだら最後生まれ故郷には戻れず家族とも会えないからそれが悲しいのだ。
モナの村はイスラエル占領下のゴラン高原にあり、シリアとイスラエルには国交がない。国交がないのに国境を越えて嫁ぐことができるという理屈が良く分からなかったが、映画の中で説明していた。つまり、イスラエル占領下にあっても本来シリアの領土であるゴラン高原の住民はイスラエル国籍ではなく「無国籍」なので、結婚など特別な理由があればシリアに行くことはできる。しかしシリアに入ったらその者の国籍はシリアと確定するので、国交のないイスラエルに再入国できなくなってしまうということのようだ。 
2)ドルーズの長老
モナの家にはドルーズの長老達。8年前にロシア人と結婚し国外に住む息子(モナの兄)の帰郷・結婚式参列を認めないという。ドルーズ派では異教徒との結婚はタブー中にタブーであり、モナの兄はその禁を破っていたのだ。私が以前聞いた話では異教徒との結婚は処刑の対象になるということだったが、ここのコミュニティではそこまで厳格でないようだ。ドルーズ派の権威者の独特な服装が見れて面白かった。
3)親シリア派のデモ
ドルーズ派の中も親シリアと親イスラエル派に別れているようだ。アラブ人でありながら教義の特殊性から異端扱いされているドルーズ。就職・就学などさまざまな理由からイスラエルを受け入れざるを得ない人も多いだろう。親イスラエル派と噂される男とむつまじく会話していた親シリア派の家の娘が家に軟禁されるシーンが出てくる。
モナの父親は政治犯で服役歴もある親シリア派。娘の結婚式の日なのにデモに参加する。占領下とはいえ少数派のデモを認めているイスラエルに民主的な側面を見た。アラブの国レバノンではパレスチナ人難民が指導者の写真を掲げることすら禁止されているのだから(サブラシャティーラ2005訪問時)。
4)「国境」地帯
「国境」によって引き裂かれてしまった親族が拡声器を使って会話するシーンが出てくる。何度か写真やニュースで見たことがある。私は、イスラエルと国境を接する南レバノンのキアムに行った事があるがそこではそのような光景を目にすることはなかった。
シリア側に住んでいるモナの弟が拡声器で叫ぶ。「モナにお母さんのコーヒーを持たせてくれ」イスラエル側から拡声器で兄が叫ぶ。「分かってる。3リットル用意しておいたぞ」。日本の味噌汁みたいなもので家庭の味が懐かしいのだろう。シリアは、かつて統治していたフランスの影響もあってか、コーヒーの美味しいところだ。
5)国境越えの手続き
花婿はシリア側に来ていない。不安にかられるモナ。事故で遅れていた花婿がシリア側国境に到着して、赤十字職員がモナのパスポートを持って国境越えの手続きをサポートする。しかし、思わぬトラブルが発生。モナの「入国」をシリア側の役人が認めない。ゴラン高原はイスラエルの不法占領下にあってもシリアの領土であり、シリアの役人にとってイスラエルの出国印が押されていることが問題なのだ。赤十字の職員は緩衝地帯(250mくらい)を何度か往復して問題の解決に努めるが、両国の役人とも規則に縛られ柔軟な対応ができない。さすがにこのままでは映画は終われないよな・・・と思って見ていると、イスラエル側の役人が折れて出国印を修正液で消すことに。晴れて花嫁は国境を越えて結婚できる。
6)別離と和解のシーン
モナは、家族一人一人と最後の抱擁をする。感動的なシーンだが、もっと泣けるのが次のシーン。異教徒と結婚し、勘当して以来無視し続けた息子(モナの兄)の肩を超保守派の父が抱くのだ。表情も変えないまま。そして8年の月日を経て初めて息子は嫁を父に紹介する。さほど混雑していない映画館のあちこちからすすり泣きの声が響いた。
7)ラスト
ここで花嫁はシリア側に渡ってハッピーエンド、と誰もが思うだろうが、ラストにはどんでん返しが待っていた。シリア側の決裁権のある役人がすでに帰宅してしまったため、日曜日まで入国はできないというのだ。この煩雑な結婚式の手続きが整えるまで5ヶ月かかった。「今日結婚式を挙げられなければ次はない。」どうしていいか分からぬ家族。シリア側の花婿は事情を知らずにただ待ち続けている。
モナは意を決したように一人緩衝地帯を歩いていく。姉が笑顔とも泣き顔ともつかない表情でそれを見守る。The End。
どう解釈するかは視聴者に委ねる、という面白い終わり方だ。モナや花婿側の説得でシリア側がついに折れて無事結婚式を挙げられるという想像も可能だろう。緩衝地帯の中間地点にいる国連兵のパスポート検査は通り抜けられず結局モナは結婚できないだろうという悲観的な想像もありだろう。国境に翻弄される家族とコミュニティの抱える問題を描いたすばらしい作品だった。

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