2009年3月20日金曜日

ボスニア 映画「ボスニアの花 Grbavica」

2006年ベルリン映画祭金熊賞作品
Esma's Secret: Grbavica, and in USA as Grbavica: Land of My Dreams.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1
(引用)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォで、娘のサラと二人暮しをしているエスマ。収入は少なく、深夜遅くまで働く日々が続く。まだ12歳のサラは母が留守がちなことから寂しさを募らせていく。
ある日、サラはクラスメイトのサミルと喧嘩をしてしまうが、「父親が紛争で亡くなった」という共通点から次第に親しくなっていく。
エスマから、「父親は殉教者」と教えられており、サラ自身もそれを誇りに思っていたが、学校の修学旅行がきっかけで父親の死に疑問を持ち始める。父親の戦死証明書があれば旅費が免除されるので、エスマに証明書を出すようせがむサラ。しかし、父親は死体が見つからなかったから証明書の発行は難しいと苦しい言い訳をするエスマ。
証明書を渡してくれない母に不信感を募らせていくサラに、クラスメイトが「戦死者リストに父親の名前が無い」とからかう。耐え切れなくなったサラは、サミルから預かった拳銃でエスマを脅し、真実を教えて欲しいと迫る。そして、エスマは隠し続けてきた過去の秘密を話してしまう……。
戦争が生んだ、人々の愛と憎しみ・トラウマ・絶望を描く。(引用終わり)


あらすじやレビューを見ないまま観賞した。ボスニア人監督作品は、アンダーグラウンドに次いで2度目だが、ボスニアが舞台の映画は私にとってこれが初めて。勘の良い人であれば、「サラエボ」で「父親の詳細が不明」というだけでエスマの秘密が分かるかも知れないが、私はそこまで考えずに見たので、衝撃的だった。シリアスな映画が大好きな私にとっても重たく感じる映画だった。

*この映画に見られるボスニアの文化・慣習
・ボスニアHには、ボスニア人(ムスリム)、セルビア人(セルビア正教)、クロアチア人(カトリック)が住んでおり、それぞれが血で血を洗う内戦を繰り広げた。本映画は、首都サラエボの、ボスニア人地区を舞台にしている模様。
・映画に出てくる町並みには長くこの地を支配してきたオスマントルコの影響はあまり見られず、東ヨーロッパの貧しい街と映った。廃墟になったビルも多く出てくるが、戦闘のフラッシュバックシーンや、他民族との間に残る日常的なしこりやいざこざは描かれていなかった。(エスマの秘密を除く)
・シャヒードという言葉が幾度となく出てくる。「殉教者」というテロップは正しいがそれだけでは良く分からない人も多いのではないか。ボスニア戦争でムスリム人と言われたボスニアック(ボスニア人)は、セルビア人、のちにクロアチア人との闘いを宗教戦争になぞらえ、戦死者・犠牲者をイスラム教を守護するために自らの身を捧げた殉教者と称えられた。サラが「私の父は殉教者よ」と誇るところにも風潮がよく出ている。
・モスクやコーランが流れてくるシーンはあるものの、男女が公の場で接吻をしているなど、イスラム色は強くない。実際私がサラエボに行ったときは、イスラム教の祝日だったこともあり、旧市街はムスリムの町の賑わいも感じ取れたが、お祈りはしない名前だけムスリムが多そうだ。
・女の人同士が挨拶をするときに、「メルハバ」と言っていた。メルハバは、トルコ語の挨拶だが、オスマントルコ統治時代からの名残だろう。私がボスニアを旅した時も、コソボやアルバニア同様現地のモスクがトルコ様式だったのが印象的だった。エンディングで流れる歌もトルコ風だった。
・魚を買うシーンで、生簀に泳いでいるマスを取り出し、木づちで頭を叩いて殺すシーンが興味深かった。さばいてから客に渡すのだろう。
・ピストルがすぐに入手できるところ・殺し屋がいることろ(10,000ユーロで殺しを依頼するシーン)・子供をすぐにひっぱたくところ、金に困っている友人に小銭を集めて助けてあげるところ、など西欧とは違うバルカン文化圏に属することが改めてわかった。

* 親子の関係 (ネタバレ注意)
映画のタイトルのグルバヴィッツアというのはサラエボの一地区の名前。激戦地だったようだ。この映画では戦争そのものの描写は出てこない。映画で描きたかったのは、内戦で傷を負った人々の一つの例としての親子の関係なのだろう。
エスマ:
過去にひどい精神的な傷を負っているようで、極度の男性不信に陥っている。バスの中で男性の胸毛を見て気分が悪くなってしまったり、職場(バーの受注ホステスをしている)でも客が接客ホステスに暴力的なアプローチをするのが耐えられなく慌てて精神安定剤を服用したり。彼女の傷を理解してくれそうな男(バーの用心棒)と軽いデートをする関係まで発展するものの、男の急なオーストリア行きで結ばれず。娘サラにはピストルで娘の父の秘密を話すよう強制され、ついに秘密を話す。いつも決して発言しなかった女性たちの集いでついにエスマは詳細を語る。チェトニック(セルビア人グループ)のエスニッククレンジング作戦によりキャンプで強姦され続け、できたのがサラだと。流産を試みたが病院で出産。はじめは顔も見たくもないと言っていたサラを腕に抱いて、その小ささと美しさに心を打たれたこと。
サラ:
典型的スラブ系美少女。父がシャヒードであることの証明書を出せば修学旅行費用が免除になるのに、証明書を出さなかった母に対する不信が募らせる。用心棒の男に送ってもらう母をみて、「お父さんの詳細が分からないというけれど、私、お母さんがゆきずりの男と関係してできたんじゃないのかしら」と感じたのだろう。真実を知ってから、サラは自分の髪を切り落として坊主頭になる。「自分に父の面影はあるか」と尋ねて「そうね、髪の毛が似ているわ」と言われ、嬉しそうに触っていた大切な髪を切ったのだ。チェトニックに対する嫌悪、自分の再出発、母や周りの人達に強く当たったことへの自戒、いろんな意味が込められているだろうが、とても印象的なシーンだった。母親との間はまだぎくしゃくしていた。けれど、修学旅行のバスの中から、ぎこちなく母に手を振るサラ。そして他の学生たちと歌いだす。これからの母子関係と明るい生活を暗示するように。映画では出てこなかったが、サラのように、民族浄化作戦で生まれた子供は2万人もいるらしい。

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