2009年2月11日水曜日

コンゴ民主 映画「ルムンバの叫びLumumba」

コンゴから帰ったばかりだというのに、コンゴのことがずっと気がかり。レンタルビデオ屋で選んでしまったDVDも、「ルムンバの叫び」。

ルムンバというのは長きにわたりベルギーの植民地だったコンゴを独立に導いた人物。コンゴ民主建国の父とも評されコンゴでは現在も人気がある。

この映画は、ベルギー・フランス・ドイツ・ハイチ共同制作で2000年カンヌ映画祭候補作品。これまでよく知らなかったルムンバの人物像のみならず1960年のコンゴ動乱の背景が描かれておりとても興味深く鑑賞することができた。(以下ネタバレ注意)



1885年ベルリン会議でアフリカ大陸はヨーロッパ列強によって分割され、現在のコンゴ民主共和国はベルギーの植民地(当初は国王レオポルドIIの私有地)となった。

ベルギーは、奴隷・象牙・鉱物資源などコンゴから搾取の限りを尽くしてきた一方、軍や統治システムに現地人を採用せず、コンゴ人の間では植民地として支配されることの不満が鬱積していた。

スタンレービル(今のキサンガニ)で郵便局に勤めていたパトリス・ルムンバは、首都レオポルドビル(今のキンシャサ)に移住、「開化民」の資格を得て仕事やコネづくりにいそしみながら独立運動に身を投じる。

1960年といえばアフリカの多くの国が独立を勝ち取った「アフリカの年」だが、この映画に描かれているように、「独立という自由を与えてしまえばコンゴは大混乱に陥る」「(西側諸国からしてみれば)(独立後ソ連の影響を強く受けた)アルジェリアのようにアカの手に落ちる」という懸念は欧米諸国の間で強かったようで、独立までの道のりは決して容易なものではなかった。(何かで読んだが、独立時に大学卒業者がわずか16人だったとか。インフラもほとんど整えなかった。独立後の混乱は当然に起きるわけだ。)

独立後の筋書きも「中央集権か地方分権か」という点においてコンゴ人指導者の中で分かれていた。パトリスは、鉱物資源の大半を産出するカタンガ州に大きな権限を与えることなく中央集権を推し進めようとするが、このことがカタンガのリーダーやその背後で甘い汁を吸う外国の反感を招き、結果として彼の暗殺につながってゆく。

おもしろかったのは、独立直後の混乱に乗じてクーデターを起こし30年間に渡り独裁者として君臨したモブツ将軍が、優柔不断で無能・アメリカをはじめとする西欧諸国の操り人形のように描かれている点。映画のモチーフである「独裁者の影に大国あり」というのは、冷戦が終わり21世紀になった今日のアフリカでも全く変わっていない問題であると思う。

*ルムンバに関する詳細
http://en.wikipedia.org/wiki/Patrice_Lumumba
Wikiの日本語サイトはちょっと不正確。ルムンバが殺害された現場はエリザベートビル(今のLubumbashi)郊外だがキサンガニとなっているし、カタンガ州での銅の産出が「世界全体の」70%という記述も「当時のコンゴ全体の70%」の間違いだと思われる。

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